小中交流会

人間左周りの法則

壮大な実験?

恒例の小中交流会を行いました。

 

志々小学校・頓原小学校の学校紹介や歌は一工夫あって、聞く人を意識した仕上がりが素晴らしと思いました。

頓原中学校の生徒会は、図書委員会が読み聞かせ劇、保健体育委員会がじゃんけんゲームを行いました。

じゃんけんゲームでは、列が長くなるしたがって、なぜか全員が左周りをするという・・・「人間左周りの法則」を実証していました。

大しめなわ創作館

かねてから行きたかった大しめなわ創作館

テレビや新聞などで取り上げられていますが、出雲大社の大注連縄が作られています。
今年、7月17日に出雲大社に掛け替えられる大注連縄が、製作中。間近で見られます。

7月15日に完成するそうです。

大しめなわ創作館にかかる注連縄

・・・那須さん、石金さん、お久しぶりでした。
またよろしくお願いします。

教え子の訪問⑴

Kさんの訪問・・・「弥山の風」4月号より

13年ぶりの頓原中学校。さっそく教え子と出会ったり(Mさん、T君!)、かつての保護者の皆さんに声をかけていただいたり。
温かい気持ちをたくさん・・・いただいてばかりではイカンと、気を引き締めているところです。
そんな中、茨城に住む教え子、Kさんが母校を訪ねてくれました。


「Kです。」と笑顔いっぱいで名乗る姿は中学生のときのまんま。(って、大人の女性には失礼かな。「すごく綺麗になって」とか、見違えたよ!」とか、「大人っぽくなって・・・」とか言えばよかった。)

A県の市立動物園に勤めているとのこと。
(そういえば、中学生の時から動物に関わる仕事に就きたいって言ってたよね。夢をつかんだんだ。おめでとう!)
地元の高校から北海道の大学へ、そして市立の動物園に就職。まさに理想通り。
夢を実現した教え子を見るのは、とてもうれしくて、「教師って幸せだなあ」と心から思える。

「好きなことさせてもらってるから楽しい。」・・・はじける笑顔がまたいい。
「明日は、友人と動物園に行きます!」って、プライベートでも動物園ですか・・・そりゃ本物だ。

情熱を傾けられるものと出合い、生き生きと働く教え子の姿を見るのは、多分一番うれしい。

「長居してしまって。」と恐縮しながら帰るKさんは、爽やかな風を残していきました。

日立市かみね動物園

ノートは必要か?

タブレットを使うなら、ノートの必要がなくなる。

でも、ゼロにはならないかも。


実用性において、手書きノートはノートアプリにおおむね勝てないと思う。
実際私もほとんど手書きノートは使わない。
授業観察記録も、ノートアプリに板書の写真を挿入しながら作っていく。場合によっては、音声データも入れるし、ウェブへのリンクも入れる。
で、そのノートはクラウドに保存しているので、wifiかモバイル電波が届く場所なら、いつでもどこでも開くことができる。
私のクラウドには、目的に応じて作った何十冊ものノートが保存されている。
タブレットを持っていれば、いつでもそれが使える。何年も前に記入した項目でも、すぐに見つけられるし、キーワードで検索をかけることもできる。情報の活用(記録・保存・再利用など)において、手書きノートは太刀打ちできない。

複数メディアによる説明

音声言語だけとか
文字言語だけじゃなくて
音声・文字・映像・画像・アニメなど
複数の媒体をつかって伝達する方がいい

ICTを使う意義の一つは、UD(ユニバーサル・デザイン)の授業に近づけること。

例えば、音声言語だけで説明するのを、画像、映像、アニメーションなど多様な視覚情報も加える。ディスレクシアの子供にも対応できるし、それはすなわち「わかる授業」にもなる。

基本的なことだけど、UDはすべての子供にとってメリットがあること。

IPT対人関係療法でなおす シリーズ

対人関係療法(IPT)

水島広子さんの著作。
水島さんは、日本における対人関係療法IPTの第一人者って言われている。

社交不安障害・気分変調障害・うつ病の三冊をまとめ買い。

社交不安障害を読み終えて、気分変調障害を半分読んだところ。
「不安を感じなくなることが治療も目標じゃなくて、不安がコントロールできるようになることが目標。」という意味のことが書いてあって、そこに一番納得できた。

テーラワーダの「不安」の捉え方と入り口は近いように思う。でも、解脱を目指す仏教と、解脱できない人間を前提とする精神医学とでは、当然アプローチや目指すところが違う。

仏教も精神医学も、どっちも興味深い。

二冊ともおすすめ。


藤沢周平「一茶」

何十冊も読んで 、知った気になってたのに・・・藤沢周平

娯楽時代小説って言うと顰蹙かもしれないけど、私にとって藤沢周平の小説はそういう位置づけだった。生々しい「人間」を描きながら、あくまで軽妙に。っていうのが私の藤沢小説観。

この本は、そいう先入観から外れていた。

一茶という「人間」を、生々しく描いている。人間臭さを前面に出している。
だから、一茶への反感や共感が自然にわく。それから、静かで深い感動が生まれる。
素材としての一茶が持つ魅力を生かしきったような。

藤沢作品にある、ある種の軽妙さは、この本にはないかも。
反対に、藤沢作品に隠れている人間観・人生観が前面に出ている。
人間観や人生観を前面に出すって、勇気がいるし、自信も必要だと思う。そういう意味で、代表作って言っていいのじゃないかな。

藤沢周平「一茶」

次世代のデジタル教科書

アクティブラーニング
アダプティブラーニング
AI

次世代デジタル教科書は、もう教科書じゃない。AI搭載のチューター。

「何を」学ぶかにフォーカスする時代は終わった。「どう」学ぶかだ。

いつ子供達一人一人にデジタル教科書を与えるかという議論はもう捨てて、第2世代のデジタル教科書について議論すべき。

一人一台のタブレット

タブレットは配ってから考える

そもそも 使い方が定まらないのがコンピュータ

コンピュータは、何にでもなれる“メタメディア”である・・・アラン・ケイ

児童・生徒にタブレットを持たせる自治体が増えている。
大賛成。
ICT機器を導入する際に、よく問題になるのが、

  1. 何に使うのか、どういう使い方をするのか。
  2. 間違った使い方をしないか。

他にも、壊したときにはどうするかとか、投資に見合う利用実績が挙げられるかとか、教育効果があるかなんていうことがあると思う。

基本的な認識が間違っているように思う。

何に使うのかが定まっていないのがICT

そういう自由さがアクティブラーニングにつながる。

何に使うかを定めてから配布したんじゃ利用実績は上がらないでしょ。そんなつまらんもの使いたくないし。

「なんだかわけわからんけど、面白そうなものもらった!」ってなると、子供はびっくりするような速度で使いこなす。タブレットはおもちゃと同じ。ワクワク感があるのがいい。

第一、あまりにも用途がありすぎて、何に使えばいいかなんてわからないでしょ。

間違った使い方はします。

大怪我はできればさせたくないから、基本的なルールや制限はあるべき。でも、間違ってなんぼのもん。間違いがないところに学習はない。って、学習・修得の基本理論です。

 

 

 

デジタル教科書は誰が持つもの?

第2世代のデジタル教科書

ICT後進国日本の巻き返しのために・・・

サイトにも書いていますが、教室に一冊の「教科書」って、概念として間違っている。

教科書は、生徒が持つものであって、教師だけが持つものじゃない。教師が持つのは「指導書」。

生徒一人一人に「デジタル教科書」を持たせるかどうかの議論は、もう遅い。すでに次世代の「デジタル教科書」(この呼び名は好きではないし、次世代では「教科書」ではなくなる。)を議論する時。今頃、現行のデジタル教科書の活用方法を議論してたのでは、世界との差は絶望的に広がってしまう。日本が、ICT後進国だという危機感はないのだろうかと思ってしまう。