ノートは必要か?

タブレットを使うなら、ノートの必要がなくなる。

でも、ゼロにはならないかも。


実用性において、手書きノートはノートアプリにおおむね勝てないと思う。
実際私もほとんど手書きノートは使わない。
授業観察記録も、ノートアプリに板書の写真を挿入しながら作っていく。場合によっては、音声データも入れるし、ウェブへのリンクも入れる。
で、そのノートはクラウドに保存しているので、wifiかモバイル電波が届く場所なら、いつでもどこでも開くことができる。
私のクラウドには、目的に応じて作った何十冊ものノートが保存されている。
タブレットを持っていれば、いつでもそれが使える。何年も前に記入した項目でも、すぐに見つけられるし、キーワードで検索をかけることもできる。情報の活用(記録・保存・再利用など)において、手書きノートは太刀打ちできない。

複数メディアによる説明

音声言語だけとか
文字言語だけじゃなくて
音声・文字・映像・画像・アニメなど
複数の媒体をつかって伝達する方がいい

ICTを使う意義の一つは、UD(ユニバーサル・デザイン)の授業に近づけること。

例えば、音声言語だけで説明するのを、画像、映像、アニメーションなど多様な視覚情報も加える。ディスレクシアの子供にも対応できるし、それはすなわち「わかる授業」にもなる。

基本的なことだけど、UDはすべての子供にとってメリットがあること。

次世代のデジタル教科書

アクティブラーニング
アダプティブラーニング
AI

次世代デジタル教科書は、もう教科書じゃない。AI搭載のチューター。

「何を」学ぶかにフォーカスする時代は終わった。「どう」学ぶかだ。

いつ子供達一人一人にデジタル教科書を与えるかという議論はもう捨てて、第2世代のデジタル教科書について議論すべき。

一人一台のタブレット

タブレットは配ってから考える

そもそも 使い方が定まらないのがコンピュータ

コンピュータは、何にでもなれる“メタメディア”である・・・アラン・ケイ

児童・生徒にタブレットを持たせる自治体が増えている。
大賛成。
ICT機器を導入する際に、よく問題になるのが、

  1. 何に使うのか、どういう使い方をするのか。
  2. 間違った使い方をしないか。

他にも、壊したときにはどうするかとか、投資に見合う利用実績が挙げられるかとか、教育効果があるかなんていうことがあると思う。

基本的な認識が間違っているように思う。

何に使うのかが定まっていないのがICT

そういう自由さがアクティブラーニングにつながる。

何に使うかを定めてから配布したんじゃ利用実績は上がらないでしょ。そんなつまらんもの使いたくないし。

「なんだかわけわからんけど、面白そうなものもらった!」ってなると、子供はびっくりするような速度で使いこなす。タブレットはおもちゃと同じ。ワクワク感があるのがいい。

第一、あまりにも用途がありすぎて、何に使えばいいかなんてわからないでしょ。

間違った使い方はします。

大怪我はできればさせたくないから、基本的なルールや制限はあるべき。でも、間違ってなんぼのもん。間違いがないところに学習はない。って、学習・修得の基本理論です。

 

 

 

デジタル教科書は誰が持つもの?

第2世代のデジタル教科書

ICT後進国日本の巻き返しのために・・・

サイトにも書いていますが、教室に一冊の「教科書」って、概念として間違っている。

教科書は、生徒が持つものであって、教師だけが持つものじゃない。教師が持つのは「指導書」。

生徒一人一人に「デジタル教科書」を持たせるかどうかの議論は、もう遅い。すでに次世代の「デジタル教科書」(この呼び名は好きではないし、次世代では「教科書」ではなくなる。)を議論する時。今頃、現行のデジタル教科書の活用方法を議論してたのでは、世界との差は絶望的に広がってしまう。日本が、ICT後進国だという危機感はないのだろうかと思ってしまう。