国際標準の「読解力」の育成に有効なハイパー意味マップ
ホーム>国語科指導法4(H21)>ICTとは
天理大学ウェブサイト:シラバス
ICT(Information and Comunication Technology)
当時すでに、吉野菊子のグループなどの先駆的研究実践グループがあり、作文指導での成果があった。しかしその他の追随としては、パッケージ型のソフトによる言語事項のドリル学習が行われる程度であった。また、一部の先駆的状況に反して、コンピュータを利用した国語科教育にたいする一般的な見解は、「保守的」という言葉では済まされないような偏見に満ちたものだった。いわく「国語に機械なんて必要ない。」「国語に機械は合わない。」「漢文・古文に対する冒涜だ。」「ワープロを使うなんて横着だ(または邪道だ)。」「ワープロを使うと文字を忘れる。」(ワープロは忘却マシンではないのでものを忘れたりするわけがない。忘れるという問題は別のところにある。自動車を使うと足が衰えるからといって、毎日歩いて通勤することをすべての人に勧めることは現実的か?)「もろ手を挙げては賛成できない。」(たぶんだれも「もろ手を挙げて賛成しろ」などとは言っていない)など。
機器を利用するかしないかにかかわらず、ある学習方法には、当然のことながらメリットとデメリットがある。「ワープロを使うと文字を忘れる」ということをかなり好意的に解釈して、「ワープロでは漢字の『書き』を同時に学ぶことができない。」ということだとすると、ワープロを利用することのデメリットのひとつを指摘しているといえるのかもしれない。しかし、それもこのような無理やりな解釈を行った末であり、先に紹介したおのおのの反応は、なぜ機械が必要ないのか、何が合うもので何が合わないものかなどという問いに答えることはなく、どのように好意的に受け止めても建設的な反駁とは言えず、国語科教育の発展にとっては不毛な態度であった。
コンピュータを利用した国語科教育の研究実践を、国語科教育における提案のひとつとして真摯に論じることは、一部の卓見を除いてはなく、無知と偏見による感情的な拒否反応が趨勢を占めた。2000年代までのこのような状況が、わが国の国語科教育(ICTの活用によって大きく進展する可能性を持つ)をある意味では遅れさせ、また、国際的な潮流(「読解」概念の比較参照)に乗り遅れてしまっている今日の状態の原因のひとつであることは否めない。
ICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)の機能的分類にあわせて、コンピュータを利用した国語科教育の実践状況をみると以下のようになる。
a.DTP系 はかねてより多くの実践がされてきている。
b.プレゼンテーション系 は、教科書に取り上げられるようになったこともあり、近年特に盛んに実践されている。
c.ネットワーク(インターネット)系およびd.ネットワーク(コラボレーション)系は、官民こぞって推進しようとしている分野であり、先進校、先進的実践者といわれる人々によってさかんに進められている。
これらの実践の多くは、その派手なパフォーマンスに比して国語学習としての深みに欠けることが多い。それは至極当然の結果であって、学習活動が「利用系」に立脚しているからである。つまり、児童・生徒の言語的実態から教育活動が立案されるのではなく、テクノロジーの実態から教育活動が立案されているのである。統計的にそのことを見てみると、ICTの利用系にはa~dにくまなく実践が行われているのに反して、言語活動系からみるとその実践は量的・質的に大きな差がある。
新しい機能や機器が生まれると、必ずそれを使った実践が企業や行政から求められ、推進者が機能や機器のための実践事例を作っていく。推進的立場にいる人々が、ICT産業的文脈で教育活動を牽引してしまった結果としてこのような状況になっているのではないか。残念ながら、まず機能あり、機器ありという「先駆的」実践を見ることは大変多い。
質、量ともに「書くこと」を単元で用いるものが多いが、「デジタル教科書(光村図書)」を活用した実践も多くなった。
利用系から考えるとCAIからIT、ICTへ、スタンド・アローンからコラボレーションへという大きな変化がある。しかし、言語活動の観点からは、CAIの時代から本質的な変化はない。その原因は、児童・生徒の実態、学習者の現実から養成されるべき教科教育が、テクノロジーの現実を学習に当てはめようとしているところにある。