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大田 實という人

−二組のみんなへ最後のスピーチ−(改)2018年7月稿

大田 實(おおた みのる)という人を知っていますか。第二次世界大戦で、日本海軍沖縄根拠地隊司令官(当時少将、死後中将)だった人です。

敗戦色濃くなった1945年6月6日、大田 實は本土内務省へ向けて一通の電報を打ちます。それは、身を犠牲にして戦い抜いた沖縄県民の様子を切々と綴ったもので、当時の武人としては極めて異例な内容でした。電文の最後は、
「・・・沖縄県民はこんなふうに戦いました。ですから、ぜひとも後世に格別の取り計らいをしてください。」 (口語訳 久村)
と結ばれています。

「オキナワ」が日本の歴史の中でどういう所なのか、生徒の皆さんも知っていることと思います。日本で最大規模の、一般市民を巻き込んだ地上戦が行われ、20万人以上の命が失われた激戦の地です。

さて、沖縄では、2000年7月にサミット(第26回主要国首脳会議)が開かれました。サミットの開催地を沖縄に決定するにあたっては、当時の首相小渕恵三の強い希望がありました。それに関しては、こんなエピソードもあります。

小渕元首相はニュージーランドを訪問した際、ニュージーランド在住の、大田 實の四女・昭子さんに会いに行きます。そして、「大変苦労された沖縄県民の方々のためにも、来年、沖縄でサミットをやると決めたことは間違っていなかった。」と伝えたそうです。

大田 實の遺志に感じ、政治家として「オキナワ」を棄てておかない。さらに、ご遺族に会ってサミットの開催を報告する。それはすなわち大田  實への報告ということでしょう。

小渕の英断の陰に隠れた小さなニュースかもしれませんが、その心情にはとても共感を覚えました。

沖縄には旧日本海軍沖縄根拠地司令部の壕が今も残っています。1945年6月13日、大田 實はこの壕の一室で手榴弾(拳銃だったともいわれる)によって自決します。享年54歳。

17年前の1999年3月、わたしはその壕を訪れ、大田 實が自決した部屋の真ん中に立ちました。壁には、辞世の句とともに弾痕と手榴弾が飛び散った生々しい跡が残っています。戦争も、戦争に行くことも、ましてやそこで死ぬことも、わたしには理解できないことです。しかし、ここで、この戦争に命をかけた人間が確かにいたのです。

わたしはこの経験を、「だから戦争はいけないのだ」というような型どおりの観念にまとめることができませんでした。54年の時を越えて、わたしは、失われた命の上に立っているのだという実感が沸いてきたからです。それは、大田 實が託したオキナワの命への畏敬なのかもしれません。

わたしたちは、つい自分一人で生まれてきたような気持ちになることがあります。だから、「誰にも迷惑をかけていないからいいだろう。」とか「自分の命だから、死ぬのも自由だ。」などと思ったり、言ったりしてしまうのではないでしょうか。しかし、わたしたちが今生きているということは、わたしたちが生まれる以前の人々が、命がけで守ってきたものや、つないできたものがあるからに違いありません。わたしたちの命は、それひとつで宙に浮いているのではなく、過去の人々の命の上に立っているのです。

みなさん、そのことを忘れないでこれからを生きてください。

2001年3月15日_卒業文集に寄せる(第一稿)

2017年_大東中学校学校だより「校長室の窓から」(第二稿)

2018年7月_頓原中学校学校だより「校長室の窓から」(第三稿)

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