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大田實という人

−二組のみんなへ最後のスピーチ−

大田實という人を知っていますか。第二次世界大戦で、日本海軍沖縄方面司令官(当時少将、死後中将)だった人です。敗戦色濃くなった一九四五年六月六日、大田中将は本土内務省へ向けて一通の電報を打ちます。その電報は、沖縄県民がいかにその身を犠牲にして戦い抜いたかということを切々と訴えたもので、電文の最後は、「沖縄県民はこのように戦いました。ぜひとも後世、格別の取り計らいをしてください。(口語訳久村)」と結ばれています。

「オキナワ」が日本の歴史の中でどういう所なのか、皆さんいくらかは知っていることと思います。日本でおそらく最大規模の、一般市民を巻き込んだ地上戦が行われ、二十万人以上の命と多くの文化財を失った激戦の場所です。二十万人とは木次町の人口の約二〇倍です。また、島根県の人口は七十六万人ですから、それと比べると約四分の一です。このような統計的な数字だけでは、おそらく沖縄の凄惨な様子は伝わらないでしょうが、ここでは、これだけにしておきます。これは、一人一人が調べ、学ぶべきことだと思うからです。

さて、沖縄では、先にサミットが開かれました。サミットの開催地を沖縄に決定するにあたっては、小渕前首相の強い希望があったことは有名です。その思いがどこにあったのか、小渕前首相の次のような行動から察することができます。小渕前首相は、ニュージーランドを訪問した際、ニュージーランド在住の故大田實中将の四女・昭子さんに会い、「大変苦労された沖縄県民の方々のためにも、来年、沖縄でサミットをやると決めたことは間違っていなかった」と言ったそうです。政治家として「オキナワ」を捨てておけないと考え、また、人間小渕として大田中将の遺族に対面したその感情に共感を覚えます。

沖縄には旧日本海軍沖縄方面司令部の壕が今も残っています。大田實中将は六月十三日この壕の一室で手榴弾によって自決しました。二年前の一九九九年三月、わたしはその壕を訪れました。部屋の壁には、辞世の句とともに手榴弾が飛び散った生々しい跡があります。戦争も、戦争に行くことも、ましてやそこで死ぬことも、わたしには理解できないことです。しかし、ここで、この戦争に命をかけた人間が確かにいたのです。「だから戦争はいけないのだ」という観念に、この経験を集約することはできませんでした。五十四年の時を越えて、わたしは、失われた命の上に立っているのだという実感が沸いてきたからです。

わたしたちは、つい自分一人で生まれてきたような気持ちになることがあります。だから、「誰にも迷惑をかけていないからいいだろう。」とか「自分の命だから、死ぬのも自由だ。」などと思ったり、言ったりしてしまうのではないでしょうか。しかし、わたしたちが今生きているということは、わたしたちが生まれる以前の人々が、命がけで守ってきたものや、つないできたものがあるからに違いありません。わたしたちの命は、それひとつで宙に浮いているのではなく、過去の人々の命の上に立っているのです。みなさん、そのことを忘れないでこれからを生きてください。

2001年3月15日_卒業文集に寄せる

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