ICTを用いた国語科教育
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国際標準の「読解力」の育成に有効なハイパー意味マップ


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エッセイというよりは、教材です。「熊にあったらどうするか」という説明文の表現や展開をまねることで、表現力と読解力を高めようという実践のために、生徒に示す作例として作りました。

「熊にあったらどうするか」は、現行の教科書からはなくなっている教材文ですが、単行本としては発売されていると思います。合わせて読まれると、どういう「まね」をしているかがわかると思います。「まね」のしやすさは、教材文としての価値の高さだと思います。

文章の定型を持つということは文章力を高める上でとても重要なことだと思います。このような活動は即効性もあってとても有効です。

クマになったらどうするか

今の時代、野外でクマになるときは人はたぶんカメラや双眼鏡しか持っていない。そのときどうしたらよいか。極限における、危険度の高い大型肉食動物へ変身したときの振る舞い方として考えていただきたい。

〈質問〉クマに突然なったらどうするか。(身分証明書は持っていない。)

  1. 立ったまま大声で助けを求める。
  2. 地面に寝て死んだふりをする。
  3. 走って逃げる。
  4. 電気屋かデパートへ行く。
  5. 木に登る。
  6. 静かに後ずさりする。
  7. 荷物を置いて時間を稼いで逃げる。
  8. 四つん這いになって吠える。(叫ぶ)

「5.木に登る。」は意味がわからない。突然クマになって動転しているのはわかるが、木に登ったところで何の解決にもならない。第一、木に登れるクマに変身しているかどうかわからない(北極の白クマは木を見ること自体が初めてである)ので、太い木に登り、都合よくあるはずの大きな幹にさばりついたところで、何をすればいいのかわからない。さらに、街を歩いていてクマになった場合、せいぜい街路樹くらいの太さの木しかないので、ヒグマやグリズリーの体重を支えることができるかどうか、それが問題である。

ハイイログマは巨体を利して、歩行者や自転車、手押し車を押したおばあちゃんさえ無視して一直線、バイクの兄ちゃんに追いつく速さで走る。そのスピードに街は大混乱するから、「3.走って逃げる。」は決してしてはならない。そのうえ、人や車を跳ね飛ばして逃げようものなら、人に危害を加えたという理由で、すぐにハンターに駆除されてしまうだけである。

「2.死んだふりをする。」は最もポピュラーな方法である。たぶん、死んだクマは人間を襲わないから安全だという趣旨なのであろうが、これは決してお勧めできない。なぜかというと、人は新鮮なクマを鍋にして食べるかもしれないし、べたりと寝てしまうと大きなクマだって案外かわいくうつるので、ぬいぐるみと勘違いした子どもが上に乗ってきてはしゃいでしまうので、大型動物になってしまったときの振る舞いの法則に反する。この法則とは、「なるべく目立たない」である。クマの感覚ではわからないが、人間は相手の異常性を日常性で判断していると思われるからである。

人間は、たいてい道では歩くか自転車などの乗り物に乗るかである。しかし、もし道端で寝転んでいるクマを見つけるとそこに[非日常性]を感じ、異常性を感じるのである。さらに危険性から恐怖を感じると排除の行動に出るであろうし、食欲をそそられれば食べようとするであろうし、面白さやかわいさを感じると、触る・遊ぶなどのふれあい行動に出るであろう。だから、「おいしそうなクマが道に横たわっている」ということは、[食物]を意味し、「かわいいクマが寝ている」ということは、[おもちゃ]を意味することになる。

目立つ動きが禁物とすれば、「6.静かに後ずさりする。」か「7.荷物を置いて逃げる。」か、の選択になる。これらは準正解であって、実際にクマになった人で、こうして難を逃れた人は多いだろう。ただ問題はどこへ逃げるかであり、クマになってしまった以上、家に帰るというわけにもいかず、結局何をしてもだめかもしれない。

意外な事ながら、正解は「4.電気屋かデパートへ行く。」である。この方法を推薦するトンバラのジュニア・ハイスクールの中年ティーチャーの体験では、やってみて失敗がなかったそうである。(もし失敗していたら彼は長生きしていない。)神話の時代の英雄オオクニヌシノミコトもこの方法でヒグマに変身している時期を無難に過ごしたという伝説がある。

4.の手がよい理由ははっきりしないが、たぶん電気屋でもデパートでもよくクマが風船を持ってチラシを配っているので人間の日常性を刺激しないこと(電気屋やデパートにはクマどころかパンダもいる)が原因らしい。Tシャツと短パンとかジーンズのオーバーオールを着ていれば申し分ない。電気屋のクマは風船を持っていないと意味がないが、少なくとも人は危険動物とは思わないだろう。そのうち店長が、風船とチラシとたすきを持ってきてくれるから、たすきをかけて来店する人にチラシを配ればいい。時々、かわいい子どもたちに風船を配り、いっしょに写真を撮るのが、たぶん最良だろう。

「1.動かないで大声で助けを求める。」は身近に助けてくれる人がいないときは無効である。また、助けてくれといわれても、せいぜい首輪をつけて歩いてあげるぐらいで、どう助けていいのかわからない。なお、最後の選択肢「8.」は、本物のクマになってしまうのでよくないし、またよつんばいで叫ぶ=ほえるという行動は、人間がたぶん危険動物だと認識するであろうということでお勧めしかねる。しかしトンバラのような中山間地域で、ツキノワグマになり、万策尽きてしまったら、そのときは破れかぶれに大声を出して、本物のクマとして生きていくのもやむを得ないかもしれない。

ところで、「おれはクマなどという猛獣にはならないからこんな質問は意味がない。」という人があるかもしれない。が、当節は必ずしもそうとは言い切れない。最近は人間がいろいろな目的で、さまざまなキャラクターを使い分けるということがあるからである。なにせ、現代人は学校や職場そして家庭という集団の中で、自分以外の人間との良好な関係を保ちながら自分自身のキャラクターを生かしていかなくてはいけないのである。

それだから、やはらかに柳青める岸辺で、なけとごとくにクマになることは大いにありうる。その変身の基本を知らないばかりに、この文章の中でいけないといったこと(選択肢の一や二)をとっさに実行して人に怖い思いをさせ、その結果クマとして捕獲されるのは自業自得だとしても、クマを見て驚いた拍子に転んだり事故が引き起こされたりしては本当に災難である。

余談ながら、電気屋かデパートでチラシを配るときに着ぐるみを着るというのは、古来注意をひくためのテクニックであった。クマやパンダは本来山にいるはずであるのに、電気屋やデパートの入り口で人間相手にチラシを配っていても人が逃げないとはおかしな話である。しかし、「クマになったら」の話で考えれば、これは対面した両者の間に日常性が存在するということにほかならない。つまり、科学的常識の動機よりも経験的日常性の関係である。

古来、デパートとチラシ配りのクマとの間には絶えず雇用の不安があり、店長は店長でいつも着ぐるみのクマがちゃんと仕事をしているかどうかを心配し、クマはクマでいつも店の都合で首にされることを恐れていた。真に目的を持ち、信頼している間柄なら、相手に気を許して熱心に働き、雇用にこたえることは、お使いを頼んだ犬でもするし、チンパンジーのパン君でもする。つまり、お互いにコミュニケーションがしっかりととれていれば不安がないのは、クマになった人間でも、着ぐるみを雇う店長でも同じことである。大型陸上動物に変身したときのもうひとつの法則「けっして人を信用するな」を守らなくてよいときこそ、クマになった人間と人とがお互いに信頼しあっている場合であろう。

東京書籍 国語『熊にあったらどうするか』の表現を学ぶ学習

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